とりとめ

日常にちょっとした区切りを付ける(予定の)ブログ

振り返りを振り返った2024年元旦

2024年になった。

お風呂からあがったのが2024年の10分前、服を着て髪を乾かし終わったのが1分前、その後年越しそばを二、三口食べた時に新年を迎えた。

物心ついた頃から年越しは毎年経験するけど、最近はますます慣れてきてるというか、それほど特別なイベントでもない感があるというか。もうちょっと……なんか、こう感情が出てきてもいいんじゃないですかと自分に言いたい。

tori-tome.hatenablog.com

更新の少ないこのブログも年末年始の振り返り記事は地味に書いていて、2023年は創造的になりたいと言っていた。 目標として追いかけていたわけではなかったけど、2022年に比べると創造的というかアーティスティックなことを割とできたのではないかと思っている。主に音楽方面で。

学生時代にやっていたエレキギターの趣味を復活させた。初めてロッキンジャパンにも行った(数日か日焼けに苦しんだ)。初めてB'zのライブにも行ったりした。他にも数件ライブに行った。あと初めて生の漫才も見に行った。

特に何かを生み出してはいないけど芸術、主に音楽関係にはたくさん触れられたなと思っている。良い年だった。

反省すべきはそれらが全て誘われたイベントだということと、微塵もブログには書いていないということ。

ブログに書いていないのは我ながらショックだった。いかに習慣化されてないというか、頭にブログが無かったかを今思い知った。本当にもったいない。

過去の記事にはこう書いてあった。

まずはもっとブログを書こう。買ってあんまり使ってないカメラも撮って載せてみたいな。読んだ本とか紹介もしてみたいな。動画も撮って載せちゃうか?とか考えてたらちょっと楽しくなってきた。今年も(から?)よろしくお願いいたします。

全然やってなくて草が生え散らかした。一応失踪はしてないから良しとする。(甘い)

あとは自分から動いて……みたいなものは全然できてなかった。誘われることは全然いいし、行って楽しめたのも良かったけど。

今年はもっとアクティブにやりたいことやって、かつブログにしっかり残していくのがざっくりした抱負だろうか。そうすれば2024年の年末は書いた自分の記事を読み返し、年越しも少し新鮮になるかもしれない。

あ、あと積読は消化したい。

年末年始で読み終えたい本、後ろにまだ4冊ある

最近の散髪事情

行きつけの美容師さんの予約が取れない。

 

というかシフトに入ってなさそう、出勤の予定がない。

 

10年近く切ってもらってる人なのでかなり心配。

 

もう新しい美容院の行き方なんて完全に忘れてしまった。要望とか何伝えんだろ、今まで「今回は短めで色明るく!」位のノリでいい感じにして貰ってた。

 

話もやってるソシャゲが一緒だったりして話題にも事欠かなかった。もう初対面の美容師さんと話すとか久しぶりすぎで未知に近い。

 

「あっ、気を使って話してくれてる、あっ、あっ」ってなりそう。

 

これは美容師さんロスが間違いなく起こる。というか起こってる。

 

でもまずは何事も無ければそれで良い。普通に心配してるし、しばらくは髪を伸ばして待ってみる。

ランニングはタイミングゲー

「運動は体に良い」なんて聞きすぎて逆に聞かなくなった(?)し、さすがに常識だと思う。

職業柄ずっとデスクワークだし、周りでは運動全くしない人が「健康診断、全項目【要再検査】だったよアハハ」と言ってるのを見て「うへぇ」と思っていた。で、そうはなるまいと気が向いた時にランニングをしている。

脳に効くランニング

最近だと走ることは体だけじゃなくて脳にも良いということを本で知った。脳トレよりも活性化するらしく益々走ろうと思っている。スロージョグが良いらしい。

「ゆるく走るだけで頭良くなんの!?」みたいなモチベが湧いてきてる。我ながら勤勉なのか怠惰なのかわからん。

そんなこんなで走る回数を増やそうとしているのだが、ある問題に直面している。それは「快適に走れる機会がマジで少ない」という問題。

走りやすい・にくい季節

季節で考えると

    • 大丈夫。最初の何分かを乗り越えたら寒さも和らぐし、走るにはちょうどいい。駅伝。
    • もう怪しい。というか無理。普通に暑い。最近春がない。冬→夏位のノリ。
    • 花粉が辛すぎる。薬orマスク必須。マスクつらい。
    • 論外。暑い。暑さが24時間営業。
    • 早朝・深夜ワンチャン。
    • 大分走りやすい。
    • あまりにも短い。夏→冬くらいのノリ。
    • 台風がくる。

少ない、あまりにも少ない。年の半分以上は快適に走れない環境が整って(?)いる。

ここに「雨じゃないこと」とか「膝が痛んでないこと」とか色んな条件・言い訳できない理由が噛み合って、ようやく「今だ!!」といいつつ走りに行ってる。「気が向いた時〜」とか言ってられない。

更にいつ走るのがいいんだろ、と思って調べる。起きてすぐは心臓の負担があるので良くないらしい。じゃあ夜はどうか。寝る3~4時間前には済ませておいた方がいいらしい。で、食後は駄目と。ほんまにいつ走れっちゅーねん。

どんどんタイミングが音ゲーばりにシビアになってくる。人類が古来からやってる物に計画性が求められてる。「ハイ、このタイミング!」ってランニングしないといけない。気にしすぎるのはやめた。

対策

少なくともお天気事情を気にせずに走るためにはやはりジムを契約することだろうか、もしくは家にランニングマシンでも買うべきだろうか。なんて考えている。

けど、ただ走るという行為にどこまでお金かけるのか……とか思って二の足を踏んでいる。(ランニングだけに)こういうところはケチるんだなと自分に思ってる。もしや走るのは贅沢なのか?

そんなことを思いながらこの夏の間はFit Boxingとエアロバイクで乗り切った。ただ心拍数があまり上がらない。やっぱ走るのが最強。

一応近くのジムのレビューを検索して、「EXI◯Eみたいな人がたむろして周りを威嚇しています」という投稿を見つけた。あーそっかー、威嚇かー。しちゃうよねー威嚇。

走ってみて

色々天気とか時間とかの条件はあるけど、実際に噛み合った日、外をゆっくり音楽を聴きながら走ると気持ちがいい。

ぼんやりと考え事もできる。「あ、これブログに書こっと」と思ってこの記事を書いてる。

体は疲れてるけどリフレッシュもしているという不思議な感覚が気持ちいい。時々膝は痛くなるけど。

元々走るのが嫌いだった件

学生の頃、長距離走は嫌いだった。

毎冬体育の時間に3kmの持久走を絶対に10回走らされる、休んでも補習ホーミング機能付きなので絶対に走らされる。

走ってると熱血漢の先生がしっかり走りぬけと煽ってくる。結構しんどかった。

そんな自分が今ゆっくりと気持ちよいなあと思いながら4~5kmをランニングしてるんだから不思議なもんだ。

学生の頃も「ランニングってこんないいことあるぞ、ゆっくりでもいいし、気持ちよく走ろうぜ」みたいなノリだったら良かったのになー。

自分が体育教師になったらそういう方針で行こう。絶対ならんけど。

いつも空気と戦っている

「空気と戦っている」と聞くと

蚊を手で追っ払ってたら、「あいつ空気と戦ってるよキモッ」と言われた

って昔のコピペが頭をよぎるがそういう話ではない。快適な空気を作ることに四苦八苦しているという話。

コロナ禍が始まった数年前からずっと家でテレワークをしている。出社している頃、会社は暑かったり寒かったり空気が汚れていたりと結構気になっていた。だから家くらいでは快適に働きたいなあと計測機器を買って色々と試みているが、これが沼への入り口だった。

二酸化炭素濃度計、すぐに警告の色(オレンジ)に光るので慌ただしい

快適な空気にするには

  • 気温
  • 湿度
  • 二酸化炭素濃度
  • ゴミ(ハウスダスト・花粉など)

を整える必要があって、そして自分が切れる手札が下4つ。

  • エアコンをつける
  • 加湿器・除湿機をつける
  • 空気清浄機をつける
  • 換気をする

これらが相互に影響を与えあって

→暑い(寒い)
→エアコンを付けると気温は快適になり乾燥する
→加湿器をつけて湿度が快適になる
→空気清浄機をつければ空気はきれいになる
→窓を締めているので二酸化炭素が増える
→換気をする
→気温と湿度がリセットされる
→また家電をガン回しする。

と、延々と浮遊物のトレードオフをやり続けている。

これを一日仕事の傍らでずっっっとやっている。これはもう空気と戦っているといっても過言ではないと思う。

特に換気がネックで、二酸化炭素濃度込みで全てがリセットされる。更に花粉シーズンはハードモードで、空気清浄機をMAXにして恐る恐る窓を開ける。酸素発生装置とかあれば置いてやりたい。中学のときにやった二酸化マンガンに過酸化水素水をブッかけて酸素作る〜みたいなやつをやればいいですかね。

もしくはセンサーを買って家電と全部連携して全自動でやってくれるように仕向ければいいんだろうか。

窓も自動で開け締めしてくれるやつもあるらしい。

news.kakaku.com

ただ窓と他家電が喧嘩する気しかしない。それはそれで見てみたいが、頻繁に部屋中でピッピピッピと鳴ったり窓がウィンウィンと空いたり閉まったりして気が散る未来しか見えない。寝てる間とか。

良い環境は目指したいが、神経質になるのは良くないなと思う。今は不快に感じたら窓開けたり、エアコンを付けたりくらいにとどめている。空気とは程々の戦いに留めた、勝ち目がない。


といいつつも最近は外気を取り込むエアコンなんかもあるらしい。

www.ac.daikin.co.jp

これがあれば空気と戦わずに済むかもしれない。でも高っかいんだこれが、賃貸に置くには勇気がいる。

でもピッとエアコンをつけるだけで空気全てが整えば……と思うと気にならずにいられない。

本を読むのに2週間と2時間かかる

本を読む速度は多分遅くない。

でも積読は溜まり、減る気配は今のところない。

理由は単純で、読み始めるのが遅いからだと思っている。

読書は嫌いではない。本屋はよく行くし、気になる本は結構気軽に買う方だと思う。自己啓発本やビジネス書、技術書・・・・・・etc。ただ買ってからが長い。平気で放置する。

この現象の原因について考察したところ、本を欲しがる時は読んだ後の自分を想像していて、「読んで実行する」という肝心な部分は未来の自分に丸投げしていることが分かった。で、当の未来の自分は「よし、また今度!」となる。

例えば本屋で片付けの本を手に取ったとして、頭をよぎるのはゴール時点のきれいに片付けられた部屋のみ。その時は自分が本を読み、技法を習得して、実際に片付けをするという過程は綺麗サッパリ飛ばされている。

本を買うことでその辺りは自動的に進んでイイ感じになる、位の万能感で本を買っている気がする。当時の自分はその本を家事代行サービスか何かだと思っているかもしれない。家事をするのはお前だというのに。

図書館

最近は図書館で本を借りるようになったけど、読み始められずに2週間後の返却期限を迎える事が多々ある。そんな時は返す直前に図書館で一気に読んで返す。この前は文庫本サイズの小説を2時間程で読めた。記録は2週間と2時間だ。

読み始めると一気に読める、特に物語は先が気になって勝手に読み進める。この前は買って放置していたライトノベルをふと読みはじめ、気がつけば午前3時になっていた。その本も読み始めるまで1年以上かかった気がする。その本は1時間で読めたので、記録は1年と1時間位。

そんな癖のせいで家と図書館を無駄に往復している。もはや借りずにその場で読んだ方が良いと思う。でも図書館に行くと「家でゆっくり読も~っと」と借りる。もう家でゆっくり読むな、今すぐそこでガっと読め、ガっと。

先送り癖

この辺りの悪癖は「先送り癖(プロクラスティネーション)」というらしい。流行りのAIに聞いた。

原因はいろいろあるらしいけど、自分の場合は多分面倒くさがりだからだろうなー。夏休みの宿題も8/31タイプだった。

以前見たいと思ってた映画も数年放置したあげく、転職したときの有休消化の時にようやく見たことを思い出した。

後2本ほど見たい映画が積まれているので後2回転職しないと見終わらないらしい。

改善

今、改めて文章に書き起こすことでいっそうヤバさを自覚した。人生を損している気さえする。

でも最近はちょっと学んで買う前に深呼吸を1~2回して読む所を想像するようにし始めた。図書館で借りる時も分量を調整でき始めた。

家では前書きだけでも読んでみるか、と自分が自分の習性を利用して読ませたりしてる。結局読み進めるので狙い通りに読む。

みたいな事をしていたら、積読は減らずとも増える事はなくなってきている。気がする。

とはいうものの、部屋の本棚には未だに5年モノとかも眠っている。今日手に取ってみれば読み終えるのに5年と2時間かかった本になるなーと思った。

でも、もっと熟成して10年ものになるかもしれない。

最近のブックタワー、近々読むぞ!と思った本を「積んで」いる

キャッシュレスはキャッシュレスでめんどい

キャッシュレスに手を染めてから久しい。

最初は銀行との連携とかなんとかで面倒くさくてやってなかったが、ポイントが結構付くと知ったのがきっかけで始めた。結果キャッシュレス漬けにされてしまった、もう元の生活には戻れない。

今当然のようになってるが、改めて考えると現金を持たなくて良いのがこんなに楽とは思わなかった。軽い外出はスマホだけで問題ないのがストレスフリーだ。(実際は鍵持ってるけど)

だいぶQOLが上がったしポイントも付くので母親にも薦めたらしっかり使ってた。あれはもう元の生活には戻れないだろう。こうして手を染める人が増えるんだろうな、「もう皆やってるよ」なんて勧誘してね。

さらには店のポイントカードもスマホで済むようになったので、ほんと便利な世の中になったもんだと思った。何年か前にカードでパンパンの財布にキレて片っ端から断捨離してやったが、全然困らずにやってこれてる。だいたいアプリ化されてるし、レジでバーコードをピッとやってもらえば済む。

店のちょっと凝ったデザインのものとか、スタンプで埋まったものとか結構好きだったが、この便利さには勝てんなと思った。

そんなバーコードだけど、最近レジで決済してると面倒に思うことが増えた。何かレジ前でやることが増えたなあと思い始めた。

特に多い例としてデパートの中にある専門店あたりを例に取ると

  • 店のポイントカードのバーコード
  • デパートのポイントカードのバーコード
  • キャッシュレスアプリのバーコード

と三つのバーコードをアプリを切り替えながら出している。

しかも店によってはクーポンもバーコードで出してるので。

  • 店のポイントカードのバーコード
  • クーポンのバーコード
  • デパートのポイントカードのバーコード
  • キャッシュレスアプリのバーコード

と四つもバーコードを出している。もうスマホを見ている時間の方が長い。バーコードもゲシュタルト崩壊してきた。

アプリはまとめてあるが、それでも一瞬どれだっけ……となる

しかもこれを出すたびに店員さんとやりとりしてる。「ポイントカードあります~」とか「支払いはPay●ayで~」とか「あ、このポイントカードは支払後に出してください~」とか。ヒジョーにめんどくさい。ただでさえレジ袋の下りが増えているというのに、どれだけやりとりしないといけないのだろう。

自分はまだしも店員さんはめちゃくちゃ手間が増えたんじゃないか。会話のキャッチボールが5往復くらい増えてそう。100人相手したら500往復か、喉枯れるわ。

後レジ周りがバーコード読む用とか何とかでメカが増えてる気がする。店員さんも色んなメカをポチポチしてる。本当にお疲れ様です。

もう現金とポイントカード出しておつりもらうとかの方が楽な可能性も出てきた。でももう元の生活には戻れない。現金を持ち歩きたくない。

なのでそのうち全ての情報を一つのバーコードに集約して、一つピッとやるだけで支払いからポイントまで(良かったらレジ袋の有無も……)全部完結するようなサービスをどこか大手のIT企業がどこかが作ってくれたらなあと思う。お待ちしております。

まあ後はやっぱ通販が便利だわ、というお話。

最近「お手入れ」がマイバズワードになってる件

最近「手入れ(=メンテナンス)って大事だな」とよく思うようになった。

職業がエンジニアなのでメンテナンスという作業はよくする。手入れが行き届いたシステムは大好物だし、手入れという行為は身近にあったが、最近は何事においても大事だなと思うことが増えた。

肩こりに悩んで整体に通い出したことがきっかけで、身体もメンテナンスしてあげないとなーと思い始めた。そこから身体だけじゃなく部屋とか物とかも手入れが行き届いているものっていいなと感じるようになった。

スマホのメニュー画面も整理してすっきりさせた時は満足するし、掃除や整理整頓が行き届いた部屋は見てて気持ちいい。道具も手入れの有無で使いやすさもかっこよさ(主観)も変わる。定期的にお手入れをしているものは見れば分かるように思うし、周りにそういうものを増やしたい欲求を持つようになった。

最近は「手入れができない=今の身に余っている」と考えて良いんじゃね?と考えている。極端な例を出すと一人でお屋敷に住んでもホコリを被って幽霊屋敷になるのがオチだ。手放すなり余らない身の丈になるしかない。代わりに手入れをしてくれるメイドさんを10人くらい雇えるならいいけどそんな予定はない。

一時期ミニマリストにあこがれて断捨離に精を出していた時期もあったけど、今思うと手入れが行き届かない物を減らす側面もあったように思う。

逆に言うとお手入れができているなら多少物があっても良いと思う。昔会社の後輩が「秩序があるから大丈夫です!」とデスクにそこそこ物を置いていた。確かに手入れは行き届いていたと思うし、特段散らかってるとも思わなかった。

まとめると「身の回りの物はお手入れしながら付き合いましょう、できないものは付き合い方を考えましょう」という感じだろうか。後身体のメンテは生涯忘れるなというね。最近寝る前のストレッチ忘れがちなので書きながら反省した。こういうところから「丁寧な暮らし」というやつは進むんだろうか。

とりあえず部屋を見て回って手入れして回ろうかな-、というか習慣的にやりたいしやれる環境にもしていきたい。手入れできる環境を手入れするともいえるし、手入れは再帰するともいえる。何を言ってるか分からないと思うけど、自分も何を言っているか分からない。